魯迅記念園と故居魯迅(1881年~1936) 本名 周樹人。浙江省紹興出身 1902年 日本へ留学 1904年 仙台医学専門学校入学 1909年 中国へ帰国後教師となる。 1918年 狂人日記,孔之己,阿Q正伝などを発表 1927年 中央広東区委は魯迅を中山大学文系主任兼教授に推薦され厦門から広州へやって来た。 1段目は「魯迅記念園」にあるモニュメント。記念園といってもちょっとした家の庭のひろさ。花や植物が植えられ整備されている。 東川路と白雲路にあり,見過ごしていまいそうな規模 2段目の写真は,広州で魯迅が住んでいたアパート。建物の表と裏の写真 この前の通りをよく通っていたのに,全く知らなかった。 白雲路の一本北側を平行に走る道(多分これも白雲路?) 1927年魯迅の広州での住まいの一つ。 1927年3月29日から9月27日まで2階7号室に在住。 この時期, 可悪罪 野草 などを執筆 魯迅は9歳のとき,清の官僚だった祖父が投獄され,父も病死し,生家の没落を経験。 周りの人々は手のひらをかえしたように彼を冷遇。 このときの経験がもとで,リアリストになったといわれる。 1936年に死去するまで文筆活動を通じて社会のあらゆる悪と闘った。彼の一生は波乱にみちていた。 中国の反動派の犠牲になった若者たちのために追悼文書を書き綴り,脅迫を恐れることなくテロと立ち向かった。 「孔子をしのぐ」「ロシアのゴーリキー,中国の魯迅」と言われるほどの人物。 上海の魯迅記念公園の墓碑「魯迅先生之墓」は毛沢東,記念館の名は周恩来によるものである。 |